平成7年(1995)第44回読売教育賞入賞
多様な教育ニーズに応える学校の指導・運営
夜間学級の存在意義を通して
教諭
1.夜間中学の概要
全国(東京・神奈川・千葉・京都・大阪・奈良・兵庫・広島)に、34校の公立の中学校夜間学級あるいは、中学校二部と呼ばれる学校が存在する。*1(以下とくにことわらずに夜間中学という名称はこの公立中学夜間学級をいう。)生徒数3027名、これまでの卒業者数、1万1998名(1994年9月現在)を出している。我が国の義務教育は、憲法第26条の教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償、の精神に基づき、教育基本法、学校教育法等といった法制度の基に整えられ、就学率99.9%といわれる。この輝かしい就学率とは裏腹に、これまで様々な理由で、その能力に応じて、等しく保障されるはずの義務教育を未修了の者が現実として多数いる。その数は、調査方法の困難さ等で、正確には特定する事ができない。1990年の国勢調査では、全国に21万7.606人と報告されるが、夜間中学の関係者の間では、入学者と卒業者数の差からみた中途退学者数、就学免除・猶予者数、国勢調査による未就学者数によって、170万ぐらいいると推定している。*2生徒の内訳は、全体的には60歳代が728名で一番多く、以下70歳以上567名、50歳代479名の順である。在日韓国・朝鮮人1323名と圧倒的に多く、しかも、オモニ(お母さんの意味)たちである。これは日本の戦後処理の政策に関わる問題であるが、いかに在日朝鮮人差別がきついかを物語るものである。以下、夜間中学には、戦後の混乱等による義務教育未修了者、部落差別によって教育から切り捨てられてきた人々、中国残留日本人孤児及びその家族、心身障害のため就学猶予や免除措置を余儀なくされてきた障害者、及び最近増え続けてきているニューカマーと、昼の学校になじめず不登校児童生徒であった若年層である。*3
これらの生徒の学習ニーズは@義務教育終了の資格修得、A高校進学のための学力の獲得、B学校生活の体験をしたいため、C日本語の習得のため、D日本社会を知り国際理解の場を求めるためなどである。夜間中学に学ぶ生徒たちは、そのときどきの歴史や社会矛盾の中で生きた存在であり、教育を保障されなかった人々である。夜間学級の設立に関しては、国がこれら義務教育未修了者に対して、教育の場を整えようと、前向きに取り組んだものではない。教育から切り捨てられてきた人々の就学への欲求と、それに応えようとする、一般市民や教師の夜間中学設立運動として、行われてきたものである。多くの生徒が、学齢期に学校に接した経験が全くなかったり、途中までしか経験していない。夜間中学にきて、初めて鉛筆を握るものもある。このような実態の中で、ほとんどの学校は、これらの生徒の学習要求に即応する独自の教育課程を編成し、教育実践が行われている。普通、義務教育の内容は学校においては、学校教育法17条35条の「目的」18条、36条の「目標」を踏まえ、20条、38条と学校教育法施行規則第25条、54条の2により、文部大臣が告示する、学習指導要領に基づき、教育課程を編成していくことが義務づけられている。しかしこれは、義務教育は学齢児童・生徒に施されるものであるという、前提と固定的な考えがある。夜間中学の生徒のほとんどが大人であることから、学校教育法令の文言のみならず、内容にそぐわないところが多い。そのため、各学校において、教育課程の編成に関しては柔軟な捉え方をし、指導内容と指導方法において独自の工夫を行っているのである。しかし、今日、夜間中学校は、「学校教育法第一条の中学校に設置された一学級であるので、中学校学習指導要領に基づく教育課程が実施される。中学校の終了年限は三年である」(1995年3月16日文部省の全国夜間中学校研究会への回答)として、小学校にも行っていなかった人々に三年で、学齢児童生徒にたいする九年間の義務教育内容を身につけさせることが、現場の学校に求められている。ここには、夜間中学の生徒は、大人であるから身体的にも精神的にも子どもより勝っているはずであり、学習修得もより容易である。という安易な考えがある。現実には、学習の適時性を欠いた大人に、同じ学習を修得させるには、子どもより何倍もの時間がかかり、指導の困難を伴うのである。教育行政に関わるものは、夜間中学の存在意義の理解が必要である。夜間中学の存在は、日本の義務教育の在り方を考えさせる大切な問題提起がなされている。実際に夜間中学を研究すれば、戦後の日本の教育政策と教育行政の不備な所、弱点をつぶさに観察できる。これを、今後の教育政策に生かすとすれば、名実ともに、教育立国としての理想を実現できるはずであるが、これを積極的に研究しようとする者は少ないのが残念である。
夜間中学には高齢者が多ということは、この制度は一過性の必要性しかなく、いずれは今の夜間中学は自然になくなるだろうとの考えで、夜間中学の運営維持にはできるだけ金をかけない。あるいは、生涯学習の施策の中で夜中の抱える問題は取り込むことが出来るという考えがある。(後述の奥野文相発言等) また、1993年会計検査員の監査が全国の夜間中学に集中してはいった際、「経済性、効率性、公平性、合規性の面から問題があり、見直されるべき」と指導している。しかし、現実には、見直しのための具体策、夜間中学システムの代替え案も展望も示されていない。そんな中で、今日、夜間中学のニーズは高まる一方である。 義務教育の建て前は、完全就学であるが、今日新たな社会現象として、多数の不就学者を生んでいる。不登校児童生徒6万1000人(平成5年度)を出している。彼らの中から、夜間中学の教育システムを希望するものが徐々に出ている。今日まさに、東京・大阪を中心に増えつつある。
日本の義務教育は、課程主義でなく、年齢主義をとっているため、一日でも学校に足を踏み入れれば、就学したことになり、実際に教育活動に参加してこなかった者にも卒業証書を与えることがあるようである。しかし、教育基本法、及び、学校教育法施行規則第27条、第28条の趣旨からしても修了を認めるに当たっては、実質が伴っていなければならないことは自明のことであるが、校長の裁量により、善意のつもりで安易に行われていることがある。 卒業証書は渡したもの、教育の実質が伴っていなかった者、これを夜間中学関係者では、形式卒業者と呼んでいる。夜間中学にはこの形式卒業者の入学希望や問い合わせが多く、現実に受け入れているところもある。ただし、このことについて文部省は、「すでに中学校を卒業した者については、再び中学校に入学することは出来ない。」として、夜間学級の正式な入学者になることを強く拒んでいる。彼らが、もう一度学習欲求を持つ時は、義務教育の範疇から切り離し社会教育で対応するのでなく、公立夜間中学での義務教育を保障すべきである。
1991年に生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律「生涯学習振興法」が施行され、行政はこの法律に基づいて、公民館など公共施設での「読み書き教室」や「日本語教室」を開設し、非識字者に対応しようとしているが、そのことで、夜間中学の入学者が吸収され減少することはない。むしろ最近の入学者は急増しており、「読み書き教室」の増加が、逆に夜間中学での学習ニーズを高めているようである。さらに、日本人のみならず、在日韓国・朝鮮人、引き揚げ者・難民・移民者・その他の外国人が夜間中学の門をたたいている。それは、実際に彼らの要求に合うところが夜間中学以外にないということである。単に、日本語の習得や読み書きのみが目標でなく、日本で人間らしく生きるための、日本の義務教育の内容そのものを享受したいということであり、これらの要求にこたえる教育を夜間中学が制度に先行して、現実に行っているからである。すなわち、夜間学級では、識字のレベルから、高校進学のレベルまでの教育内容を、指導できる条件を持っている。生活に根ざした、生きるための学力の養成に焦点を置いた、授業が行われている。また、義務教育の保障として、学齢期に身につけなければならなかった学力を取り戻す営みとともに、反差別の視点と人間解放の視点にたった、大人への教育意義としても普遍性のある「人格の完成をめざす」教育基本法の目的の具現が、いちばん実践されているところであるからである。 夜間中学では、現行法の中で夜中の体質にはそぐわない学齢児童生徒のための教育施策を、可能な限り利用し、法的解釈においては、法令、条例等を柔軟にとらえ運営している現状である。行政当局があってはならない存在として、自然消滅を待っていた夜間中学が、新たな入学者の増加傾向や夜中のような教育機関のニーズの高まりを見せている今日、夜間学級の存在意義とその運営において、抜本的な考え方を確立しなければならない時に到っていると考える。目をつぶる存在から必要かつ重要な教育システムとしての位置づけが望まれる。同時に、多様な教育ニーズに応える義務教育学校としての夜間中学は、これからの、わが国の教育制度を支える上でも、必ず必要なものとして常に整備しておかなければならない、必要不可欠なものである。この意味での夜間中学校の教育学の確立が急がれる。*4
2.夜間学級のあゆみと捉えられ方
(1)夜間中学の歴史
夜間中学校は、明治五年の学制以来の「貧人小学」「村落小学」という夜学校は別として、1947年(昭和二二)の新学制発足以来から続いているものである。*5当初は、「生活困窮等の理由から、昼間に就労又は家事手伝い等を余儀なくされた学齢生徒等を対象として、夜間において義務教育の機会を提供するため、中学校に設けられた特別の学級」(1985年1月22日、吉川春子参院議員への国の答弁)として存在し、昭和二四年で、小学校40万人中学校34万人の経済的理由の未就学児童・生徒がいた。やむおえず、夜間においても昼の学校の補完をしようとの立場で行われていたものである。正確には、大阪の生野第二中学校に「夕間学級」と呼ばれる貧困長欠生徒救済学級が、週に数時間の学級を開いたことに始まる。これは、教師の善意によるやむにやまれぬ自発的な行動であった。しかし、三年後の1950年10月には廃止になっている。常設のものとして、1949年9月10日、
まず、先にも述べた1950年東京都教育委員会、
以上のような夜間中学に対する見方に対して、1970年代に自主夜間中学の増設運動から公立化への運動が活発になった。国が、学齢超過者には、社会教育で対処することをうちだす中で、夜間中学校関係者が学校教育法第1条の学校に位置づくことを望んだ理由は、義務教育の教育行政施策の中身としての、運営の安定性と施設設備等の教育条件獲得のためであった。義務教育を進める要素である教育の目標、教科、年限を同じように受け入れるのではなく、夜間中学校の現実に踏まえた識字から、初等中等教育までの学力保障するための独自の教育内容や方法が、施設、設備、指導者等人的条件において、安定した条件を得たいが為というのが本当の所であった。そのところについて、自主夜間中学から公立化する際の心配事として、公立化になると、管理下が進み、自由な雰囲気が奪われるのではないかとの心配が強かった。その例として、奈良の春日中学校夜間学級をみてみると、
夜間中学が真に望むのは現行の義務教育制度そのものではない。学齢期の教育制度を大人の中に再現するのではなく新しい教育制度の創造である。あくまで独自の立法措置を求めるが、現実の困難さの中では、現行法制度の中で、柔軟な条理解釈や弾力的な法解釈によって、行政面での協力が必要であるということである。
そんな中で地方公共団体の示す対応も様々であり、文部省の曖昧な態度を反映して、全国的には自治体の対応はバラバラである。東京都では、八夜間中学(足立四中、八王子五中、双葉中、曳舟中、糀谷中、新星中、荒川九中、小松川二中)は、開校当初から行政との話し合いの場は定期的に設けられており、1994年6月24日には養護教諭の配置、給食の充実、就学援助、入学基準、長欠対策と夜間中学の位置づけ、基礎課程、日本語指導のクラス、定住外国人の日本語教室について、職員の異動について、都夜中研と都教委の話し合いがもたれている。また、
大阪では、1993年9月14日夜間学級を設置している府下の七市教育委員会に対して次の七項目の指示がなされた。@中学校教育を実施する。A日本語習得、識字の為だけの入学は認めない。B入学許可は市教委が行う。C入学時期は四月末を限度とする。D二重在籍の無いように。E修業年限は三年但し、当分の間は最高六年とする。F一年間の出席日数10日以下、半年以上連続して欠席した者は除籍とする。その後、これに反対する夜間中学校関係者と夜間中学を支える市民団体などの話し合いの末、1994年2月、大阪教祖・部落解放共闘が中心となり4項目の原則として、指示事項、口頭確認を双方で理解し交渉は妥結した。内容は7項目を整理した形で、@中学校の教育課程を編成し、中学校教育を実施する。A日本語習得や識字が主な目的の者は、入学を認めない。B入学許可は設置市教育委員会が行い適正な在籍管理に努める。C入学時期については四月末日を限度とする。というものである。
一方、
このように、地方自治体レベルでの姿勢の違いが大きく、各夜間学級の取り組みに混乱を与えている。特に大阪の四項目が出され、全国の夜間中学の中では先進的な取り組みをし、バブル経済のころは、各地方公共団体の裁量として、ふれずにきた夜間中学のジレンマ、すなわち生徒の実態から、修業年限3年を原級留置等の措置を援用してのばさざるを得ないことや、独自の教育課程や自主教材を使用し教科書を使用していない。いや使用できない実態等、法的に完全適応していない点等に、行政が直接踏み込んだことは、夜間中学関係者には大きなショックであった。各地においての取り組み方法は様々であるが、現在、全国や間中学校研究会としてまとまり、それぞれの独自性は認めつつ、夜間中学が抱えるこの共通課題の解決に取り組んでいる。
3.夜中の存在意義
1.夜中の位置づけと現実
夜間中学は、義務教育が取り残したものを保障する(security)機能と社会の矛盾として過年齢に到った者への補償(compensation)と賠償(reparation)の意味があると考えている。日本の義務教育の中身が学齢期に行われてこそ身が付き、学齢期にしか味わうことができないことがらなど、学習の適時性をもつもので成り立つものが多い。夜間中学に学ぶ多くの人々は、この時期を奪われた人々であり、学齢生徒対象とした学習指導要領の内容は、そのままでは、夜間中学には当てはまらない。全国夜間中学校研究大会では、毎年、文部省に対して要望書を送り文部省の回答を得ているが、その中で、「夜間中学校の生徒には、不就学者・小学校未修了者が多数在籍している実体を認識し、基礎学級を認可し、生徒の実体に見合う修学年数等を保障されたい。」との質問に対し、文部省は「学校教育法第1条の中学校に設置された1学級であるので、中学校学習指導要領に基づく教育課程が実施される。中学校の終了年限は3年である。」と言い続けている。これを受けて、先に述べた大阪の八項目四項目の問題が夜間中学の現場に持ち込まれ、混乱を起こしている。このことは夜間中学の存在にとって大きなな問題である。
一つは、識字は、義務教育の中身になりうるか、夜間学級から切り離すべきかという問題がある。現在の夜間中学の現状は、識字レベルからの入学者が、多数を占めるている。また、現在の夜間中学生が望む学習条件である@週に一回や二回でないフルタイムの授業を受けられること。A公費による無償であることB義務教育の目的、目標が完全達成できる学力を身につけることができる体制が整えられていることC学習開始の年齢等ハンディを考慮してくれること。がある。文部省の言う「中学校の目的、目標を三年で達成せよ。」は現実を考慮していない。義務教育未修了者には不完全な教育サービスでよいといっているのと同じである。
第二は、夜間学級を特別なものとするか、生涯学習で義務教育未修了者を対象とした新たなシステムを創るべきかどうかについての問題がある。文部省がいう「夜中は二部教育」の立場をとるなら、夜中に入学させる以前において、小学校課程を修得させておく、基礎教育システムが必要である。いわゆる「読み書き」を教える識字教室を公的に確立する必要がある。しかも、中学校課程を前提とした6年間の小学校教育の履修の場を設定しなければならない。しかも夜間中学の学習者の三つのパターンである、@義務教育を全く受けてこなかった人。A戦後補償に関わる定住在日韓国朝鮮人・中国帰国者子女及び家族。B新渡日者で義務教育を必要とするもの等を考慮した教室が運営されなければならないだろう。
(1)識字の場としての夜中
今でも夜間中学の重要な教育活動の中身として、識字がある。学習には適時性がある。その時期を逃した、あるいは奪われた人々が、全く文字を持たず高齢になってから、初めて学習を始めるということは、非常な困難と大変な努力が必要であるという認識がまず必要である。多くの学校では、文字の習得を、機械的に覚え込ませるのではなく、日常生活に根ざした形で行っている。その方法として、日記や作文指導を重視している。これらの学習成果が、学校の文集という形でまとめられている。これらをみると、道具としての文字を獲得することによって、今まで抑圧されていた自分の心の中の思いを赤裸々に表現している。まさに水を得た魚のごとく、生き生きと綴っている。これまで文字を持たない世界で生きてきた、個々の生き様のすごさとともに、生活の中で実践的に培われた豊かな表現力が宿っている。夜間中学に出会った喜びについて、人生の苦労と自分の生きてきた意味を考えること、人のぬくもりなどについて、自由に書いているが、その内容が、反戦であり、平和を望む声であり、反差別の視点である。文字を獲得することによって、社会の不合理矛盾が見えてくるのである。以上のことは、識字が単に道具を手に入れると言うことが目的ではなく、自己変革をしめすものであり、人格の完成を目指す教育基本法の教育の目的を、目指す出発点であり、夜間中学はその出発点における、人間教育の動機付けをも担っているのである。(※各校の文集を目にする機会を得てほしい)
識字レベルから学習をはじめ、高校に入学し、さらに大学に進んだ人も少なからずいる。彼らは、「能力があるにもかかわらずに、義務教育を奪われてきた人が日本に存在することの生き証人であり、教育基本法第三条教育の機会均等が完全には果たされてこなかったことを示すものである。国及び地方公共団体の教育行政が、国民の義務教育完全就学について努力を続けることは当然であり、戦後の混乱期のように多数の未就学者は生まないにしても、これからの社会においても、完全と言うことはあり得ず、必ずや、法的措置から落ちこぼすことがあり、これは皆無とはならないことを示していると思われる。その意味で、夜間中学は、日本の義務教育の完全就学を補完する機関として、今以上に充実させてほしいと願うところである。
ところで、現在、識字教室、とくに「よみ書き」を行っている機関としては、公立夜間中学校・自主夜間中学校・被差別部落における識字教室・民間の読み書き教室がある。この中で、フルタイムに人的、物的な公的保障で運営されているのは夜間中学だけである。進学のためや資格習得のための中学卒業の証明が発行されるのも夜間中学だけである。
文部省では識字レベルは別機関でを打ち出しているが、現実的には、夜間中学を識字レベルから含むものとした方が、効率的であり、能率的であると考える。なぜならば、識字レベルの機関を創るとしても次に、小学校課程の機関、さらに中学校課程と重なる施設を保障しなければならないからである。
(2)定住外国人にたいする義務教育の保障
夜間中学の現在の生徒構成からみて、定住外国人*8等の識字もその中に含まなければならない。彼らは、単に日本語の習得のみでなく、いわゆる義務教育が保障されていない者が多いのである。彼らを日本の国の住民として、「人格の完成を目指し、平和的な国家及び...」を育成する義務が我が国にはあると考える。ここにいう定住外国人とは、日本社会に生活の基盤があって、社会的生活関係が日本人と実質的に差異がなく、国籍を持たない人をいう。具体的には、先の我が国が関わった戦争により、直接間接を問わず渡日を余儀なくされた、韓国・朝鮮人、中国・台湾人、及び、彼らの子孫で日本に生まれ育った者、また、結婚渡日等で来日し将来にわたり定住する意志がある者等、生活基盤が日本にあって、納税義務を果たしている全ての者である。(国籍法上では帰化の最短年数三年以上の者とされる。) 定住外国人に対する識字の考え方を統一する必要がある。社会教育で、日本語教室を開設し、日本語を教えることで、その目標が達せられるのではなく、日本で生活する基本的な知識技能を習得させなければならないということである。いわゆる1975年ペルセポリス宣言以降の国際的な識字に関する中身に関することである。すなわち@文字の読み書き・計算能力Aコミュニケーションできる能力B社会において、技能を発揮できる能力C機能的識字の能力D文化創造社会変革的能力の育成である。海外旅行のための日本語習得といった感覚のものと違うということを認識すべきである。識字の目的は、自分自身の生活言語が読み書きできないことからの生活に不自由さや社会からの疎外、抑圧からの解放を意味するものである。これらを教育的に考えるとき、我が国の義務教育の目的目標が、日本における生活の基礎として、彼らが習得すべき内容として競合する。
日本の憲法は、総ての国民は法の下に平等であると、日本国籍を有する人の権利の平等をうたっている。さらに、日本も批准した国際人権規約は内外人平等の原則をうたっている。この理念からすれば、定住外国人の労働、社会保障、教育も平等に保障する義務が国にはある。日本に住む外国人達にも日本の国は9年間の義務教育をする義務があることになる。現行法規のうえからは9年間のフルタイムの教育保障と補完をするには、学校型の教育、学習機関でないと保障できない。学齢期の子供たちについての義務教育施策は最近になって、ようやく整えられてきたが、学齢期を超過した大人に対して、今日、このことを満たす条件を、少なからず備えているのは夜間中学だけである。彼らの中の義務教育未修了者は全て我が国の義務教育を享受する権利があると考える。国際人権規約の内外人平等の精神や難民条約の精神からして、このことは益々重要になってくる。これまでの日本の閉鎖的な国籍感覚は変革が迫られ、定住外国人は、地方自治法第10条にいう市民・住民であり、地方参政権を与えるべきだという国際世論が強まりつつある。教育行政も国際感覚がもとめられている。
(3)学級運営
識字の学習においてはマンツーマンの個別学習が一番望ましい。それは、個々の生徒の個性や能力が非常に違うからである。しかもこれは学齢生徒の学級の生徒の能力差というぐらいの程度のものではない。どこの学校においても、一学級を小グループに分けるなどして、限りなく個別に近い学習形態がとれるように、指導方法を工夫している。しかしながら、指導者をより多く必要とする夜間中学も、教員定数法(公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律)に基づくことは同じである。そんな中で 奈良の天理北夜中・畝傍夜中では、教師のみならず一般人がボランティアとして、指導組織に組み入れ、学校教育内における障害者の介護者、及び、教育スタッフとして指導組織を組み立てているところがある。普通、公立の義務教育諸学校においては素人が無免許で授業をすることはできない。このことは「教育職員はこの法律により授与する核相当の免許状を有する者でなければならない」(教育職員免許法第三条)を杓子定規に解釈すれば、違法であるが、現実の夜間中学の識字活動から見れば、十分可能で実際的な方法である。民間識字学級や自主夜中では殆どが、このボランティアに支えられている。もちろんこれらの学校では教育職員の指導と綿密なスタッフとの打ち合わせ識字の内容と教育課程を区別して行われていることはいうまでもない。
夜間中学に民間人ボランティアの関わりを求め、組織を維持するということは並大抵のことではない。全国的にみてもこれは特異な例であるが、学校教育と社会教育の範疇を融合した形で運営することは、現在の不十分な夜間中学校の人的教育条件のもとでは、適した方法であると評価できる。このことができる背景として、奈良の三つの夜間中学校が、自主夜中から公立化へむけて市民運動の働きによって設立されてきた経過を持つからである。夜間中学設立運動は部落解放運動や識字教育運動の一環としてとらえられてきたからである。それが奈良に夜間中学をつくり育てる会・天理に夜間中学を作り育てる会・橿原に夜間中学を作り育てる会として、学校を支える市民運動体として活躍しており、先の畝傍夜中・天理北夜中のスタッフも作り育てる会のメンバーである。
2.生涯学習と識字
1991年7月に生涯学習振興法が施行されたが、この中に、はたして、義務教育未修了者に対する識字や、義務教育の保障の意味が含まれているのであろうか。ここでは、生涯のいつにおいても、自由に学習機会を選択して、学ぶことができ、その成果が社会において適切に評価されるような社会の実現がうたわれている。しかし、その具体的施策の中に、文字を奪われ、はずかしくて、文字の書けないことをひた隠しにし、社会の陰でひっそり暮らし、権利を主張することも、不満を表現すべき術もなく、いつも敗北者の立場に甘んじてきた人々に対して、その権利の回復と差別からの解放をもたらす教育の実現の視点があるのだろうか。私のみるかぎり、リカレント教育の推進、ボランティア活動の推進、青少年の学校外活動、時代の要請に即応した学習の機会のどれをとっても、少なくとも、小学校・中学校の義務教育を受けたことを前提とした施策の充実をいっているようにしか感じられない。夜間中学の目指す義務教育の保障は、もっとシビアな基本的人権に関わる問題である。天王寺夜中の卒業生飯野正春さんは、夜間中学で学ぶ目的は、物言わぬ「賃金奴隷」から、人権意識をもって自分たちの要求を突きつけられる「労働者」に翻身することだ。と言っておられる。
生涯学習振興法の施行後、各地で公民館等の公共施設を使って「読み書き教室」や「日本語教室」が開催されている。このことは、いわゆる非識字者に学びの場を提供する場として大いに歓迎されるべきことではあるが、このことが、夜間中学増設を阻止し、義務教育で保障すべきことを社会教育に位置づける手段とする事は許されない。義務教育未修了者に対しては、現行の義務教育そのままが適応できないにしても、あくまでも義務教育に見合う保障がなされなければならないと考える。すなわち、教育基本法第四条にいうフルタイム九年間の普通教育と義務教育の無償に匹敵する、教育行政的サービスである。
生涯学習として、成人基礎教育として識字学級を整備することも大切である。すなわち、学習後の進路が保障されており、短期大学、学位も取れる、ドクターもとれる、しかも識字のプロセスも備えている。といったことが完全に保障されているシステムである。現実に夜間中学は、これに近い機能を果たしている唯一の教育機関である。
1990年は国際識字年のスタートの年として、国内の非識字克服の取り組みにも焦点が当てられた。識字年は1年限りのお祭りではなく、10年間かけ、2000年までに世界的にこの問題に取り組み、識字問題に取り組んでいこうとするものである。問題提起として、@識字とは社会を読み解く力であること。A学習者こそ主役であることB政府行政が大きな責任を負っていること。C被差別者、非抑圧者が重要であるD識字問題を継続的にやっていくこと。の5つがあげられている。識字問題は他の国の問題ではなく、まさに、日本の国が自国の問題として取り組まなければならない、もっとも大切な問題である。
行政は、うたい文句として、国際化、生涯学習社会にふさわしい条件整備は、夜間中学以外において、確立するという方針を持つところがあるが、義務教育未修了者が現実に行くことができる教育の保障の場は、現在のところ無い。
各夜間学校では、地元の国際識字年の取り組みの中で夜間中学が果たしてきた今日的な役割を、強調する中、全国での夜間中学の増設を訴えている。識字年中には、1991年4月に奈良畝傍夜間中学が第35番目の学校と公立化し、
夜間学級は識字を義務教育の中身に含むと考えている。読み書きから市民大学の学習内容まで、様々な教育要求に応えようとする姿勢とぬくもりを持った唯一の教育機関である。識字レベルは読み書き機関で、義務教育修了資格を必要とする者は通信教育や検定制度で、学校の雰囲気を味合うなら各種カルチャーセンターへと簡単に割り振るべきではない。今日の教育改革の目的からいっても、夜間中学のような、大綱的、柔軟な学校の存在は認められて当然であり、画一的で、硬直的、閉鎖的な学校体質を批判する点からすれば、モデル校ともいえる存在である。最近、夜間中学の取り組みも、マスコミをはじめ、いろんな所で報告され、夜間中学の存在意義が位置づけられた。とりわけ、夜間中学が、教育の部分で果たしている戦後補償の指摘は重要である。憲法や子どもの権利条約にも保障された、教育権獲得の取り組みを実践している夜間中学増設運動から学び、義務教育を問い返していくことが大切である。
4.まとめ
夜間中学の機能は大きく二つに分けられる。第一は、義務教育を受けていない人たちに義務教育修了の資格を保障するのが今の夜間中学である。第二は学歴は一応あるが、日本社会で一定の役割を果たすために、必要な実質的な学力を保障するために成人基礎教育をする場である。これらを準学校型で集中した受け入れ機関として、うまくミックスした運営がなされているのが、現在の夜間中学である。夜中が抱えるジレンマは学校制度を拒否する体質と、脱制度的な面を持っている点である。ある意味で学校教育と社会教育の境界をなくす、教育制度を目指すものである。読み書きから市民大学までの授業内容を備えその指導に多様性を持っているのが夜中である。@社会生活において一定の役割を果たすために必要な学力を求める者。A高校進学や各種資格の取得のため卒業証書を要する者。B学齢期においてかなえられなかった学校生活を体験したいとして義務教育の補償を求める者。C日本の戦後補償の面と国際化に無策だった教育行政の補完。という4つの意味を同時に行っているのが夜間中学である。この中で、Cの戦後補償の面に今もっとも力を入れなければならないと考える。なぜなら、これまでもっとも過酷な仕打ちを受けてきたオモニや中国帰国者は皆そうとうの高齢であり、時を待っておられないのである。しかるに、今日の最大のネックは大阪の七項目四項目である。特に、修業年限と、教育課程について、学齢生徒の教育も義務教育未修了の高齢者も同じとする発想である。現状の条件の中で、最大の手だてを工夫しなければならないのであるが、我が国の義務教育の補完機能として位置づけられた、夜間中学を守り育て、さらなる充実を目指すことが、各地方自治体、地方公共団体の教育行政の当面する大きな課題の一つであると考える。
*1全国夜間中学校現況一覧表1994年9月1日現在を参照のこと。
*2資料
*3資料、「全国夜間中学校の現況」参照
*4 資料、「生徒の内訳」参照
*5詳しくは、「ザ夜間中学PART2勉強がしたい学校がほしい」夜間中学増設運動全国交流集会編1994年宇多出版企画奈良にまとめられている。
*6以下の内容は全国夜間中学校研究大会大会資料及び大会記録誌から拾っている。現在第40回
*7 ザ夜間中学PART2勉強がしたい学校がほしいp8
*8定住外国人という言葉は徐龍達ソヨンダル氏の造語とされる。最近ではマスコミも使っている。概念については、氏の「定住外国人の地方参政権」日本評論社1992年第一章p3〜p41に述べられている。
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